移転による改革で、企業力がアップ
日本無線株式会社
代表取締役社長 小洗 健 氏
長野市2014年、長野市に長野事業所と先端技術センターを開設した日本無線様。東京から約1,000名の社員の方たちが長野に異動するという大規模な移転を実施し、企業力向上への道筋が見えてきたと言います。
エンジニア出身の小洗健社長は、「長野県への移転を契機に、社員の意識が変わってきました」と手ごたえを語ってくださいました。
長野県へ進出するまでの経緯
当社には以前から長野県内にグループ会社が2社あり、いずれも独自の事業を展開していますが、無線技術の活用というベースの部分は当社と共通しています。
それなら同じエリアに集まり、それぞれの強みを生かしながらコラボしたほうが相乗効果を発揮し、より大きな可能性が広がると考えました。
間接業務などの重なる部分を統合すればコスト削減にもつながります。
一方で三鷹にあった当社の開発・生産拠点の建物が老朽化していたという事情もありました。
それらのことから事業構造改革の一環として、三鷹の部隊を長野に移すことにしたのです。
長野県への進出による効果
実は私、昨年社長に就任するまで3年ほど、長野に赴任しておりました。
長野県は豊かな自然に囲まれ、食べ物もお酒もおいしく、山歩きやスキー、温泉などオフを楽しく過ごすための選択肢もたくさんあって、本当にいいところです。
東京から移った社員も多くがそう感じているのではないでしょうか。
通勤ラッシュのストレスも少ないし、働き方改革や新しい生活様式を実践する条件がそろっていると実感しています。
調達、開発、生産、物流などさまざまな事業機能を長野で一体化したことにより、サプライチェーン全体が見やすくなってきましたし、社員の意識も全体を見よう、全体最適を考えようという方向に変わってきています。
-長野への移転とともに事業構造改革を推進したことで、日本無線グループ全体の企業価値、企業競争力が増したという手ごたえを感じられているようです。また、近隣に信州大学や長野県の工業試験場もあり、研究開発が進めやすい環境も競争力を向上させる要素となっているようです。
移転の際、課題や問題もあったかと思いますが、どのようにして解決されましたか?
計画段階で2014年の移転というゴールを明確に設定しました。
それにより、なんとしても達成しなければ、という意識が会社全体で醸成される効果がありました。
移転推進室を設置し、諸々の課題に会社がしっかり当事者として対応していったことも、社員の理解を得ることに結び付いたと思います。
1,000人の社員が長野に移るというのは大変なことです。
社員もいろいろな事情を抱えており、家族にも大きな影響を及ぼします。
そういう意味で当時の経営トップが率先して、社員との対話の機会を何度も設けたこともよかったと考えています。
-東京からの移転に際しては、当初反対する社員もいらっしゃったようです。このため、移転する社員の家族も長野の新社屋の見学会を行うなど様々な取組をされたと聞きます。家族も含めた皆さんに現地を見てもらうことで長野の良さを理解してもらうことで移転をスムーズに進めることができたようです。
移転後に始めた新たな取り組みがあるそうですね
今後、県や市とともに5G規格の無線を活用した観光産業向けのサービスなどの実験を行い、いずれは長野発の新しいサービスを全国に発信していければと考えています。
他にも千曲川の支流などでは気象レーダーだけではカバーし切れていないエリアもあるため、そうしたところにより小型のレーダーを設置して、災害発生の危険があるときはアラームを出すシステムの実験を信州大学と共同で今年から始めます。
これが成功すれば、防災システムの長野モデルとなる可能性もあるでしょう。
-長野県内には独自の技術を持つ精密機械関連の中小企業が多くあり、信州大学などの大学との産学連携も活発に行われています。そういった素地も長野県の強みとなっているといえるでしょう。
研究所移転のお話を聞いた時どう思ったか、また周りの反応などをお聞かせください
新規事業開発本部 新規事業開発技術部 LTE応用グループ長 勝又貞行様。実直な方で、すべての質問に対して真摯にお答えいただきました。
元々技術系の職員は東京の三鷹市が拠点になっておりまして、多くの職員は生活基盤も東京近辺にありました。
工場移転の話自体は聞いていましたが、開発や設計はそのままという話だったので、最終的に開発も含めて長野県に移転するという話を聞いたときは社内から「えっ」という声は多くありました。
−長野への移転決定は、三鷹製作所で働く社員の皆さんにとってまさに「⻘天の霹靂」だったそうです。
長野県に移住してみて感じた、仕事やプライベート・暮らしの面におけるメリットについてお聞かせください
実際に来て感じたことは、さすがにオリンピックを開催した都市だけあって交通インフラが非常に整備されていて、商業施設も一通り揃っているな、と。なので生活に困るようなことはほとんどありませんでした。
通勤も短時間になり、東京方面への出張も朝7時のかがやきに乗れば9時には都内の事業所に到着できるので、移転する前に感じていたような不安や苦を感じることもありません。
また、移転して建屋が新しくなり、設備も新しくなったので仕事は非常にしやすくなりました。
プライベート面では長野は自然が近く、車があれば諏訪湖や上高地、上越、主要な温泉地にも1時間程度で気軽に行けますし、楽しい所だなと感じております。
-また長野に拠点を移したおかげで、コロナ禍の影響で東京などに緊急事態宣言が出されたときも出社制限等の影響はなく研究開発ができたそうです。
長野県で研究開発をすることについてメリットやデメリット、課題などをお聞かせください
メリットは東京にいた頃よりも腰を据えて開発ができる点です。
東京の頃は色々な学会、展示会といったイベントに参加しやすく、また緊急に実験部品が必要となっても近くの秋葉原まですぐ部品を買いに行けるなど、出張に手軽さがありました 。
その手軽さが非効率な面も生んでいたと感じます。
長野だとメンバーを厳選して出かけてもらいますので、開発に専念できる時間が増え、時間の使い方が効率的になった気がします。
-長野県に移転したことで暮らしが充実し、時間が有効活用できるようになり、開発も腰を据えてできる点も長野県の強みの一つといえるでしょう。この充実した環境を活かすことで、日本無線様が新しい製品やソリューションを生み出していくことが期待されます。